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【東北旅】被災地・女川町で、震災遺構と復興の姿を見て感じたこと

先日(2025年10月18日)、東北の宮城県・石巻の東にある女川町(おながわちょう)を訪れてきた。
トットマンもともとは学会発表で青森へ行った帰りに仙台へ立ち寄り、そのまま女川でダイビングをする予定だったのだが、当日は強風で中止に。
せっかく時間ができたので、女川の街をじっくり散策してみることにした。
女川町とは
女川町は三陸沿岸の小さな港町。


しかし、2011年の東日本大震災では15メートル級の津波が襲い、当時1万人ほどの人口のうち約800人の方が犠牲になった場所でもある。




被災地に直接行く機会が少なかったこともあり、今回は「勉強のためにも行ってみたい」という気持ちがあった。
驚くほど綺麗でおしゃれになった街並み
まず驚いたのは、街全体がとても綺麗で洗練されていること。



特に女川駅が本当におしゃれ。


津波で流されて建て替えられた新しい駅舎で、しかも駅には温泉施設が併設されている。


また、駅前には「シーパルピア女川」という商業エリアが広がり、駅からそのまま海へと続くような美しい街並みが作られている。




カフェや雑貨屋、海産物のお店などが並び、散策がとても楽しいエリアだった。
新しい街と、震災の記憶が共存していた
街を歩くと、ところどころに震災の記録や慰霊碑が設置されていた。



特に印象的だったのは、「旧女川交番」。




震災で倒壊した交番が、震災遺構として今も倒れた状態のまま残されている。


交番の周囲は一周できるようになっており、震災前後の写真や被害の規模、復興までの道のりなどが説明や記録として展示されている。






こうした情報がわかりやすくまとめられていて、自然と当時の状況を学べるようになっている。
また、小中学校や町役場は高台に再建されており、「もう二度と同じ被害を起こさない」という強い意思を感じた。
上皇后陛下がお詠みになった短歌のオブジェ
駅前には、復興を見守られた上皇后陛下の短歌が刻まれたオブジェもある。




震災から約4年、町が再び歩み始めたことに寄せた歌だそう。
震災から約15年。それでも残るもの、変わったもの
復興が進み、街は驚くほど綺麗になっている。
だが同時に、あの日からの時間が確かに積み重なっていることも感じた。
女川を歩いて、「復興とは、ただ建物を新しくすることではない」と実感した。
街の人たちの努力や願い、人々の祈りがあってこそ、今の女川があるのだと強く感じた。




ダイビングはできなかったが…また必ず行きたい
今回はダイビングが中止になったが、逆に街の姿をしっかり見る時間ができ、すごく良い経験になった。
女川は、被災地の学びだけでなく、海の幸も美味しく、景色も綺麗で、本当に素敵な町である。
次こそはダイビングも含めて、また必ず訪れたいと思う。









